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  3. 2018.11.2

The pechka incidentペチカ事件

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9月初めの北海道の地震は、近所の人たちの間で、災害への備えと、もしも電力が冬の間に止まった場合にどう対処するかについて、たくさんの議論を引き起こした。この地震で、ある冬の災害の個人的な記憶も思い出した。

私の子どもの頃の家を温めていたストーブは、ロシアの「ペチカ」の北海道版だった。かつては、暖房と調理の両方の目的で使われていて、おそらく、シベリアを経由して北海道に伝わったのだろう。私たちの家のペチカは、家のメインの部屋2つの間に建てられた分厚いレンガの壁だった。その片側には、薪や石炭を燃やすための暖炉が取り付けられていた。煙と暖められた空気は、壁の中に組み込まれたパイプを通って、穏やかに壁の両側の部屋を暖めた。

横に伸びたパイプには金属製のふたがついていて、定期的な掃除のために、壁の片端から取り外すことができた。掃除の過程は見るのが面白かった。父は、専用の道具で、それぞれのパイプの表面からすすけた中身をかき出した。それから、残ったすすを燃やし切るために、各パイプの中に小さな火をつけていた。私はそれを「妖精の炎」と呼んでいた。すすのかけらが消えるまでオレンジ色の光の中で踊っているように見えたからだ。

私たちは炭鉱の町・美唄町に住んでいたので、石炭は燃料として当然の選択肢だった。配達のトラックが、玄関から少し離れたところにあった物置に、窓から石炭をどさっと置いていった。9歳で、私は5人の子どもたちの一番上だったので、毎日、大きな金属のバケツを物置まで引きずっていき、ペチカ用の石炭を詰めてくるのは私の仕事だった。

父が町を離れていたある朝のとても早くに、母がいつものようにペチカの暖炉に火をつけた。すぐに、私たちは家がおかしな様子で音を立てて揺れているのに気がついた。母は、地震だと思った。私たち子どもはまだパジャマを着ていたが、母はコートを私たちに投げて、全員家から出された。どうにか私道にたどりついて、大きな道路に出ると、爆発音が聞こえた。

消防隊が家を調べにやってきて、最終的に、私たちは戻ることができた。ペチカはがれきとなっていた。レンガの山があり、床と私たちの朝食と洗ったばかりの洗濯物がすすだらけになっていた。かわいそうな飼い猫は上の階のベッドの下で縮こまっていた――しかし無事だった。

定期的に掃除をしていたにもかかわらず、パイプにすすとガスがたまっていて、内部からペチカが爆発したのだった。私たち家族にとって危機一髪で、運良くけがをしなかった。しかし、ときどき、今でもあのペチカが恋しくなる。

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