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  3. 2018.11.9

Time to believe信じるべき時

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夏に、イギリスの新聞『ガーディアン』は読者に、路上での嫌がらせを経験したことがあるかどうかを尋ね、あればその詳細を送るように頼んだ。私にはそれほど多くの経験はないと思うが、考えてみると、鮮明な記憶が次々によみがえってきた。私だけのではなく、私の友人の経験もだ。

大阪の「でんでんタウン」へ放課後に出掛けると、複数の男が私たちをいやらしい目つきで見て、そのうちの1人は突き出た腹をわざと友人にぶつけた。

大人になってから日本である夜、家に歩いて帰っていると、車に乗った男たちが道の向こうから私に向かって何かを攻撃的に叫んでいた。はっきりとは聞こえなかったが、彼らの表情が私が知る必要のある全てを物語っていて、できるだけ速く家に走った。

ニュージーランドでは、私が経験した嫌がらせは、英語が話せないと思って私が道を渡ろうと待っていると「こんにちは」とあいさつしてきた男たちから始まった。私は彼らを無視し、不愉快に感じながら、無礼ではないだろうかと心配していた―結局のところ、彼らは親しくしようとしているだけではないのか?

それから、前庭で何人かの男がパーティーをしているときがあった。彼らの無礼な誘いを私たちが無視していると、彼らは私たちの近くにぶつかるようにボトルを投げることにした。彼らが私たちに参加してもらいたいと思ったことを光栄に思うべきだったというのか?

ロンドンでは、あらゆる女性に向けられる冷やかしを四六時中見かけ、私自身もターゲットになった。タイのプーケットでは、写真を撮りながら歩き回ろうとしていたとき、赤の他人からキスのような音を立てられるのに耐えなければならなかった。

オーストラリアのタスマニア島に女性の友人と一緒に行ったときのことが最悪の経験だった。ここでも、私たちが歩いていると、何度も車に乗った男たちが私たちを追い越し、こちらに向かって叫んできた。こういうことがあまりにも多く起こるので、私たちは休暇中ただ屋内にいたいと思うようになった。

こうしたことは思い出して気分のいい経験ではない。1人の女性が当時最高裁判所判事に指名されていたブレット・カバノー氏から、両者が高校生だったときに暴行を受けたという疑惑をアメリカの上院議会で証言したときに、彼女の心がぼろぼろになるのを見て、私は心が痛んだ。訴えられる多くの男たちと同じように、カバノー氏は、自分が有罪だと証明されるまでは無罪とみなされると言った。それでも、嫌がらせや虐待について話す女性たちは、うそをついているとすぐに判断される。誰かをこのことで告発する誰もが―クリスティン・ブレイジー・フォードさんがそうだったように―信じられないほどの犠牲を払って告発する。

私が自分の経験を話すと、「信じられない!」と言われるときもある。しかし、疑わしい点があっても告発された人に対して無実だと解釈される恩恵を与えることと、被害者に対して信じる恩恵を与えることのバランスを取るべきときだと私は思う。

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