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  3. 2018.11.16

Aw nuts!2つの木の実

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「暖炉であぶる栗」で、1961年のナット・キング・コールの定番ソング『クリスマス・ソング』は始まる。この曲は、アメリカ中で毎冬、必ず耳にする。誰もが家に暖炉を持っているわけではないが、栗はたいてい、市場や店で見つかる。私は、ラジオやショッピングモールでこの歌を耳にした後すぐ、毎年焼き栗を買う。

日本では、この実は「栗」と呼ばれていて、音も形も「トチ」とは完全に異なっている。この2つの木の実は少なくとも自然界としては別物なのだからそうであるべきなのだ。しかし、この2つの木の実は、茶色で丸く、どんぐりよりも大きくて、見た目がやや似ている。たぶんこのために、いくつかの言語ではこの2つの木の実の名前が似ているのだろう。例えば英語では、栗はchestnutだが、トチはhorse chestnutと言う。なぜhorse(馬)か?

もしかしたらそれは、16世紀のイスタンブールの人々が、咳をする馬を楽にしようとこの実を馬に食べさせていたためで、それでこの実を名付けるのに「馬」という言葉が使われたのかもしれない。もちろん、現代の農家はトチ(horse chestnut)が馬(horse)に悪いことは知っている。トチは特別な方法で調理されないと、食べた人の体調をひどく悪くする。しかし、このhorse(馬)は、接頭辞として「大きい」という意味を表したというのがもっとうまい説明だと思う。horse chestnut(トチ)はかなり大きい。

私がニュージャージー州で育ったところにはトチがたくさんあった。秋になると、庭にタガが外れたように大量に落ちてきた。私たちはよくそれを拾ったり、交換したり、蹴り回したりした。順番で的に正確に当てたりもした。多くの投手の腕はこうして鍛えられた。トチの実は野球ボールよりも小さいので、カーブを投げる練習はできないが、トチの実は有り余るほどあって安上がりだ。気をつけないと的を完全に外して他の何か―あるいはだれか―に当ててしまうこともある。私は一度もそのようなことはしていないと、念のために言っておきたい。うっかり当ててしまったこともない。

私の町にはなぜ食べられる栗がなかったのだろう?不思議に思っていた。実は、アメリカの栗はかつてごくどこにでもあるものだったが、19世紀後半に日本から持ち込まれた木の伝染病で、ほぼ完全に絶滅した。そのせいで、日本とアメリカの関係は、当時、ずたずたになったに違いない。

幸い、日本の栗の木はこの病気に耐性があっったので、アメリカでもっと丈夫な栗の木を育てるために交配種を育てることが可能だった。そうした新しい丈夫な木々は現在、数十年の間にさまざまな景色に広がり、私の近所の子どもたちはきっと今頃、本物の栗を集めていることだろう。きっと、トチと同じく空を切って飛ぶが、栗は食べることもできる。それなら得だ。

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