1. ホーム
  2. 記事全訳
  3. 2019.6.7

Faces of gratitude感謝の顔

このページを印刷する

感謝の表現が日本の言葉と作法の一部にいかに含まれているかということによく感銘を受ける。確かに、そのうちのいくつかは反射的な反応のような感じもする―誰かがくしゃみをすると自動的に「Bless you!(お大事に)」と言うのがかつて西欧諸国の多くの人々にとって本能的だったのと同じように。それでも、私にできたことは真心を送ることくらいしかなかったのに「おかげさまで、妻は最近ひいた風邪からかなり回復しました」と言える人には心が温まる。

感謝の表現が持つこの心地よさは、先日の平成時代の天皇の退位とその息子の皇位継承の間にも再び私を感動させた。二人の公式のスピーチの中で、明仁天皇も徳仁天皇も繰り返し、日本の人々の親愛と支えに対する感謝を述べていた。この歴史的な出来事を祝うために集まった「日本の人々」がメディアからインタビューを受けたときにも、彼らの多くもまた繰り返し、明仁天皇の愛と導きに対する感謝を口にしていた。

もちろん、日本の天皇は政治的な権力のない象徴であり、「日本の人々」は首相に対しては常に同様の尊敬と愛着を感じているわけではない。それでもなお、批判でさえも、例えば、「アメリカの人々」から来ると予想されるものよりも質が優しい。

西欧人の視点からすると、こうした感謝の表現の幾つかは、行なったことに対して不釣合いに見えるかもしれない。例えば、30年以上に渡って毎年、私がたった1年間教えた2人の子どもたちの両親から、私は高級な柿を一箱いただいている。子どもたちに教えることは私の仕事であって、教えることに対して十分な支払いをもらっていた。それ以上を期待したり、望んだりする理由はなかった。しかし、この特定の両親にとっては、授業料の支払いは彼らの感謝の感覚を満たすのに十分ではなかった。

私は昔、40年近く前、体調の悪い近所の人と彼女の生まれたばかりの息子を、彼女たちの面倒を見られる人が誰もいなさそうだったときに、短い期間世話をしたことがある。私の考えでは、それは近所の人たちであればお互いにすることだ。そのすぐ後、私は家族とともに遠くの県に引っ越して、この女性と再会するとは思っていなかった。しかし、10年かそこらに1度、航空運賃が高いにもかかわらず、彼女は贈り物を持ってわが家を訪ねてきて、口ごもりながら感謝の言葉を言う。私はそれが気まずくて居心地の悪い感じがするときもある。しかし、それから私は、彼女が私に感謝を向けてくれるのと同じ精神で彼女の感謝を―貴重なものとして―受け入れなければならないと自分に言い聞かせる。

英文記事を見る

全訳トップへ戻る

広告の掲載について 詳しくはこちら

定期購読申込み定期購読申込み無料試読申込み無料試読申込み

Alpha Online ログイン

初回ログインの手順はこちらをご確認ください。

ID(メールアドレス)・PWをお持ちの方
※Fujisanマガジンサービスでご契約の方もこちらから

メールアドレス
パスワード

パスワードをお忘れですか?

Alpha Passコードをお持ちの方
※新聞販売店等でご購読・ご購入の方はこちらから

※初回ご利用の際には、Fujisanマガジンサービスにて、メルマガ会員へのご登録が必要です。

Alpha Passコード

メールアドレス・パスワードの入力も必要です。

メルマガ会員へのご登録
※新聞を購読していなくても登録できます

メルマガ会員になると、毎週の見どころを紹介するメルマガが届くほか、Alpha Onlineの英文記事を月5本までお読みいただけます。

メルマガ会員登録

※Fujisanマガジンサービスの提携サイトにてご登録となります

閉じる

定期購読申込み無料試読申込み

定期購読申込み無料試読申込み