新型コロナウイルスのパンデミックがアメリカ中で猛威を振るう中、大統領は経済活動を再開したがっている。私は身がすくむ。ドナルド・トランプがそうしろと言うような普段どおりの生活を再開しようとするつもりは毛頭なく、ロックダウンのままで過ごしている。
私は運よく家で働けるので、私の毎日の暮らしの仕組みはそれほど変わらない。私は自分の仕事をして、アートに取り組み、料理をして、人けのない道で犬を散歩する。必要不可欠な労働者たちのように、勇敢であれと求められることはない。アメリカのフードチェーンに供給が絶えないようにするために、食肉加工場へ行く必要もない。私は路上生活者ではなく、今回のパンデミックでひどく苦しんでいるこの世界のとてもとても多くの人々のようにお腹を空かせていたり、しいたげられたりするということもない。自分がどれだけ運が良く、ありがたいことかと考えると、私の心は他の人たちのことを思って重くなる。しかしそれでも、今回の世界的な恐怖に囲まれている混乱と無知の重みを感じる。
私はテレビのニュースを見ないようにしている。これまでしていたように新聞を読むのではなく、見出しだけを流し読みしている。延々と続くウイルス関連のニュースや、死者数、異常な陰謀説から精神的に逃れようと、回避という手段に出た。
私がどうやって逃れられるのだろうかと、あなたは不思議に思うかもしれない。ばかばかしく聞こえるかもしれない。私はよくある鳥の餌台を2台、大きな窓の前の庭に設置した。1日のほとんどを過ごしている私のホームオフィスの机から、メキシコマシコやゴシキヒワなどの小鳥が止まったり、食べたりしているのが見える。鳥たちはとても近くで餌を食べるので、手を伸ばして触れそうなところまで来る。鳥たちが怖がって逃げないように、ゆっくりと動かなければならない。
鳥たちはイキイキしていて、可愛らしい。餌台で場所の取り合いをする。遊んだり、追いかけっこをしたりする。彩り豊かで類まれだ―鳥たちはすっかり私を魅了した。鳥たちを見ていて全く飽きることはない。その生き生きとした姿や美しさは、地球と、地球が支えている素晴らしい生命を象徴している。
人間たちが数ヵ月間ロックダウンしている間、隠れていた動物の王国が出現し始め、かつては動物たちのものだった領土のいくつかを、射撃されることなく、占領し始めた。今回のパンデミックでよく見られる現象は、ソーシャルメディアで野生の動物の写真を見かけることだ:ウェールズの村でガラガラになったメインストリートを駆け抜ける野生のヤギの群れ;イスラエルのプロムナードを歩き回るアイベックス;チリの大通りで目撃されたピューマ;人けのないビーチやガラガラになった道路に現れて生活するインドのジャコウネコやブラジルのウミガメといった絶滅危惧種。
コロラドでは、小鳥を楽しむことで、私は安全と正気を保っている。教訓が1つある:母なる自然はいつでも最終的な決断を下す。ひょっとしたら、人間は鳥のために存在するのかもしれない。