技術のおかげで、私たちは愛する人たちに、たとえとてつもない距離で離れていても会うことが可能になった。画面越しにではあるが、ビデオ電話で私たちはリアルタイムで会話ができる。
しかし時に、誰かが本当に恋しくなることもあり、そんなときはビデオ電話では役に立たない。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックのせいで、シンガポールで働いている多くのマレーシア人は二国間をまたいでの移動ができなくなった。シンガポールの職場とマレーシアの自宅の間を日常的に通勤していた人もいた。残念ながら、多くの人々は今ではシンガポールでの仕事を失うか、家にいる家族と離れるかのいずれかを選択しなければならなくなっている。
もちろん、ソーシャルメディアやビデオ電話で連絡を取り合うことはできる。しかし、それは便利かもしれないが、実際に「会う」ことを選んだ人もいた―間にジョホール海峡を挟んで。
シンガポール北部の公園の1つは、海峡を隔ててマレーシア南部の都市ジョホール・バルの全景が一望できる。ここは、シンガポールにいるマレーシア人が地元の友人や家族に「会いに」行く場所だ。
最近、私がここを訪れていたときに、2人の男性が海岸に向かって熱心に手を振っているのを見た。海を挟んだ反対側には彼らの妻がいることが分かった。1人は「はっきり顔が見えないが、車のヘッドライトが見える!」と説明した。
もう1人の男性は妻と電話で話していた。話しながら、彼は時おり明るく手を振り、妻はそれに応えて車のヘッドライトを点滅させた。
「私たちは7ヵ月以上も離れていて、いつ家に戻れるのか分からない。もちろん、定期的にビデオ電話はしているが、これはどこか違う感じがする」。
突然目頭が熱くなったのを感じ、私は顔を背けなければならなかった。とてもたくさんの人々がパンデミックのせいで、愛する人々と離れ離れになることを余儀なくされている。渡ることのできない水域で隔てながら同じ物理的空間を共有できるようにするためだけに彼らをここに連れてきた喪失感と切望を、私は想像し始めることすらできなかった。
ちょうどそのとき、男性たちの1人が私と一緒にいた人のデジタル一眼レフカメラに気が付いた。「それを借りることはできますか? 写真を撮るためではありません。ズームしてもっと近くで見られたらと思ったのです」。
幸い、最大までズームすると、小さな画面にはっきりと彼らの妻たちの顔が現れるくらいいいレンズだった。2人の男性はとても大きくうれしそうに歓声を上げ、1キロ離れたところの妻たちにも聞こえるのではないかを思うくらいだった。
会えない時間が愛を育てるのだろうか? しかし確かに、「会って」つながりを持つための努力をすることは、真の愛の証だ。