2頭の犬のうちの1頭が私の足の下に入ったようだ。どちらの犬かだったかは分からないが、私たちは公園を通って猛スピードで歩いていて、私はぼんやりしていて心ここにあらず、そのとき、ドスン。私はばったりうつ伏せに倒れた。手で身を守ることができず、私は倒木のようにただ顔から倒れ、頬の左側が舗道にくっついていていた。身体はグッドウィル(アメリカのリサイクルストア)で見つけた古着のコートのように、路面にばったり倒れていた―擦りむいて、あざができて、ショックで動けなかった。
その通りで唯一知っているご近所さんのトムは、私が転んだのを見ていなかった。私がいたのは、彼の家のすぐ向かいで、そこには、毎日午後3時頃、一団の男性たちがゴルフカートに乗って集まっていた。彼らは、近所の人たちから苦情が来るか、帰る時間になるまで、トムの家の外のテラスに座ってビールを一気飲みしていた。
トムは犬を飼っていて、それが私たちが知り合う基盤となった。私たちは犬のアレルギーやノミの薬について話し合ったり、ほんの少しだけ異性として意識しているような雰囲気を示したりしていたが、彼は私よりも若く、私の年齢を知らなかった。彼とデートをすることはかなりありえないことだったが、異性として意識して振る舞うことで、私たちはどちらもお互いに重要な人だという感じを持つことができたと思う。そして、私は相性を見て、その良さを認識した。後になって、彼はメリーランド州に5人の子どもと妻1人を置いてきたことを知った。
路上に倒れていると、男性たちの1人が私に気付いたが、ただ飲み続けていた。それは透明人間になったかのような瞬間だった。私はこの世界に本当にいるのだろうかと思った。それは私がまさしく思ったことで、私の小さなプードルたちは、私の手首にまだ巻き付いていた引き綱を引っ張っていて、犬たちを放した方がいいのかもしれないと思った。
トムはようやく私に気付き、走って出てきてくれた。彼は私を起こして、家まで歩いて連れて行ってくれた。私は彼に大丈夫だと言った。彼は心配していて、私の年齢を尋ねる質問をどうにか割り込ませた。私は彼に年齢を伝えた。彼はショックを受けていた。私はずっと若く見えていたのだ。しかし、彼はまた気持ちが萎えたようだった。それは全く間違いなかった。私の目の前で、彼は高齢者を世話する近隣の人に変貌した。恩着せがましくて、大げさに下手に出て、かなり大きな声で話しかけた。
そのとき転んだケガから回復するのには数週間かかった。どこも骨折していなかったが、筋肉にあざができて、痛みがあった。それほど遠くまで犬を散歩させるのをやめて、家の近くにいるようにしていた。
近所の人の1人が、トムが私のことを尋ねていたと言っていた。私はもう二度と彼の家の前を通らなかった。
やがて彼は自分のゴルフカートに乗って現れた。「心配していたんだよ。大丈夫?」
「大丈夫」と私はつぶやいた。
「お大事に」と彼は言い、彼の表情は正直で誠実だった。「もう若くないんだからね。犬たちをよく見ておいた方がいいよ」。