英語学習で壁にぶち当たったことはあるだろうか?
きっと、スキルがあまり伸びない時期を経験することもあるだろう。それは勉強するモチベーションに影響を与え、さらに伸び悩むことさえある。悪循環になりうる!
私は今、日本語を勉強して3年ちょっとになるが、多くの浮き沈みを経験した。やる気が高まって、よい学習習慣をつくる期間をこれから長く経験するだろう。しかし、そういう期間の後には常に、テキストを開くのも、ボキャブラリー用のアプリを起動するのも、日本語のテレビ番組をつけることすら困難な苦しい時期が続くだろう。
こうしたプロセスは、新しい言語を学ぶなんて難しいことに取り組むときには自然なことだと思う。
私はこれを山登りになぞらえる。登り続けられるようになる前に、立ち止まり、長い間水を飲む必要があるときもある。
私は、妻の家族を訪ねて関西に出掛けた後はほぼいつも、「給水休憩」が必要になる。
東京では、美容師とでも、日本人の友だちとでも、レストランの接客係の人とでも、短い会話ややり取りをして、自信が大きく高まることがよくある。流ちょうさからまだかなりほど遠いが、こうしたささやかな成功体験が、自分をもう少し勉強しようという気にさせ続ける上で、大きな役割を果たしている。
しかし、関西へ行くことは、私がまだ関西弁を理解できていないので、かなり別物だ。
関西へ行く前にはたいてい、注意すべき文法上の違いについて妻に質問し、義理の両親に好印象を与えられるように関西弁の言葉を少し覚えようとしている。
このおかげで自信が高まり、行くたびに、会話に付いていって積極的に参加できるようになるだろうと思っている。しかし、その地点にたどり着くまでさらにどれだけ行かなければならないのかに落胆する。
新しい語彙なのか、イントネーションの違いなのか、それとももしかすると、妻の両親や姉妹たちがお互いに話すくだけた言い方のせいなのか定かではないが、私はいつも苦労する。よく、妻に通訳を頼まなければならない。英語に訳してもらうときもあれば、関西弁を標準語の日本語に訳してもらうこともある!
その落胆からやる気を取り戻すのに数日かかることがよくある。
それでも、私はいつも、次の関西行きで提示される課題を楽しみにしている。いつか、うまく行って、山の頂上にたどり着けると確信している―そして、たどり着くのが難しかったからこそ、さらに満足感があるだろう。