ニュースでは聞いたことがないかもしれないが、カナダはし烈な闘いを経験したばかりだ。
カナダの英語圏とフランス語圏の代表者たちが5月に対決し、打ち合い、叩き合い、取っ組み合いの闘いまでした。
負傷者は軽傷にとどまったが、全員こぶとあざができて、この闘いを家から見ていた人たちは未だにこの強烈な経験から立ち直ろうとしているところだ。
最終的に、ベテランのキャリー・プライス選手とシェイ・ウェバー選手の強力な防御と、ブレンダン・ギャラガー選手のタイムリーな攻めの一撃のおかげで、フランス語圏サイドが勝った。
ありがたいことに、カナダで最も人気のスポーツ、アイスホッケーの一連の試合よりも深刻な話はしていない。しかし、モントリオール・カナディアンズがトロント・メープルリーフスと1979年ぶりにプレーオフとなって何らかの面で影響を受けていないカナダ人を見つけるのは難しいだろう。当時の最後の試合は3対1でモントリオール・カナディアンズの勝利となり、トロント・メープルリーフスは敗退となり、推定600万人のカナダ人がチャンネルを合わせて試合の大部分を見ていた。これは国全体のほぼ16%くだ。
カナダで最も有名な2大チームの対立は、ホッケーというスポーツとほとんど同じくらい古く、1917年にさかのぼる。両チームはスタンレー・カップで合わせて37回優勝している。モントリオール・カナディアンズのファンなら誰でも言うだろうが、トロント・メープルリーフスの13回に対し、モントリオール・カナディアンズは24回優勝していて、トロント・メープルリーフスは1967年以降、優勝していない。
この対立を特別なものにしているのは、アイスホッケーそのものだけではなく、この2つの市と言語の対立でもある。
長年、フランス語圏のモントリオールは、カナダの経済的原動力だったが、20世紀の最後の数十年間に、英語圏のトロントだけに追い越された。現在、トロントは商業と金融の主要な中心となっている。一方、モントリオールは、その文化と料理、建築物で広くもてはやされている。トロントが小型版のニューヨークなら、モントリオールは小さなパリになるだろう。
カナダにおいてフランス語対英語の対立は、フランス軍とイギリス軍がアメリカ大陸で土地をめぐって争ったこの国のまさに建国時に遡る。アイスホッケーのリンクで行なわれる闘いのほとんどとは異なり、戦争で勝って、統一されたカナダを最終的に率いたのはイギリス側だった。数世紀を経た後でさえも、フランス系カナダ人の中には今でもケベックをカナダの他の地域から分離させたいと思っている人もいる。その運動は近年、次第に人気がなくなってきてはいるが。
最近では、フランス系カナダ人とイギリス系カナダ人はほとんど仲良くやっていて、カナダは幸い、長い間平和を享受できている。
しかしモントリオール・カナディアンズとトロント・メープルリーフスが氷の上で一緒になると、1回にわずか数時間とはいえ、この国のし烈な歴史的分断が復活する。