今年これまでに、これがないと生きられないという食べ物について何人かの生徒と話をした。以前、似た会話を友人たちともして、「人生の残りの期間、1種類の食べ物しか食べられないとしたら、それは何だろうか?」という問いについて話し合った。サンドイッチという人もいた。私ならいつも麺だろう。
私は麺が大好きだ。毎日食べても嫌になることはないと思う。私はいつも夕食に何らかの種類のパスタか麺料理を食べるので、世界の麺料理を次々と料理して少なくとも1年は簡単に過ごせると思う。麺類はチーズ味にもできる。スパイシーにもできる。炒めたり、スープに入れたりすることもできる。熱くても、冷やしてもおしい。いつか、あらゆる麺料理を食べに世界旅行がしてみたい。
長距離移動の飛行機から降りたらまず食べたいものの1つが、熱いベトナム料理のフォーだ。たいてい油っこくて塩気が強すぎる機内食がついた飛行機に何時間も閉じ込められた後の胃を、シンプルでさっぱりとしていてすっきりとした風味が落ち着かせてくれる。数週間ベトナムを旅して回っていたとき、私は朝食によくフォーを食べた。付け合せに、切りたての、鳥の目のような形の激辛唐辛子が付いている。言うまでもなく、私の唐辛子に対する耐性はその旅行中にかなり高まった。
麺はいくつかの国では長寿を象徴しているが、麺を食べることにも何か楽しさがある。私は、たくさんの子どもたちが麺全体をちぎれることなく吸い込もうとするのに楽しさを発見するのを見てきた。確かに、やや窒息の危険性はあるが、それを成し遂げたときの子どもたちの顔に浮かぶ得意げな表情はかなり楽しい。
私が一番昔に麺を食べた記憶の1つは、祖母が作ってくれた料理の記憶だ。それは、文字通り翻訳するなら「ネズミの麺」という麺を使ったものだ。それは端が尖った白い小麦の短い麺だ。見た目は確かにネズミのしっぽに少し似ている。食事時に最も好ましいイメージとは言えないが、それはおいしく、そのわずかに腰のある食感が特においしい。日本でそれに最も近いものはうどんだが、全く同じというわけではない。かつてのホストマザーが最近、冷凍うどんを使う喜びを私に紹介してくれた。その食感は特にもちもちしていた。私が冷凍うどんを使うまでに、これほどまで時間がかかったなんて信じられない。
冷凍うどんを知るのは明らかに遅かったものの、私の麺の旅は今も続いていることを喜んでいる。麺について学ぶことはまだたくさんあり、人生の残りの時間がよい麺のようになることを楽しみにしている―長く、活気にあふれたものになることを。