私の母が日本にいる私のところを初めて訪れたとき、母はニュージーランドから1人で移動してきた。空港で母と会ったとき、母が時計をつけていないことに衝撃を受けた。「時計なしでどうやって来たの?」と尋ねた。彼女は答えた:「誰かに時刻を尋ねただけ」。
これは単純なアイデアのように思えるが、私たちのほとんどはそうはしない。しかし、日本で生活していると、時計を見たり、誰かに時刻を尋ねたりしなくても、時刻を知ることは可能だと私は気づいた。
学校のそばにいれば、学校の1日の始まりと終わり、昼休みを告げるチャイムが鳴らされる。私の近所では、近くの寺が阪神淡路大震災をしのんで、毎朝午前5時54分―1995年に地震が襲った時刻に近い―に鐘を鳴らしている。ある朝、鐘の音は午前5時50分近くに聞こえた。新入りの僧侶がその鐘を鳴らしていたのではないかと思う。あまり厳しく罰せられませんようにと願った。夕方午後5時58分ごろになると、鐘の音が再び聞こえるが、理由はまだ解明できていない。
日本の公共交通機関は時間に正確に動くことが有名だが、時計のように規則正しく行なわれているのはそれだけではない。平日のジョギングで、私はよく朝のラジオ体操をする人々でいっぱいの公園を通る。みんなお気に入りの場所があり、個人的な人間の日時計のようなものになっている人もいる。いつも生け垣の後ろに自転車を駐輪するおばさんがいる。彼女がラジオ体操中に腕を回す動きをしているのを目にしたら、午前6時28分頃だと分かる。
日本では、自分の携帯電話や時計を確認しなくても時刻を知る方法がたくさんある。それでも、ちょっとの間だけ人とつながりを持とうと、誰かに時刻を訪ねようとする人がいるのは素敵だ。数年前、私は混雑した電車の駅を友人と歩いていた。私たちの近くを歩いていた高齢の女性に、私たちが英語で話しているのが聞こえたとき、私は彼女が突然興味を持ったように思った。突然、彼女は夫の横を離れ、私に時刻を英語で尋ねた。私は英語で返事をすると、彼女は私にありがとうと言った。私は歩いて離れながら、ちらっと振り返ると、彼女がたぶん短いけれど英語でのやりとりに成功したことで、とてもご機嫌に見えるのが目に入った。彼女の夫も同じくらい彼女を誇りに思っているように見えた。
私は全く知らない人に時間を尋ねようという母の意欲が好きだ。それは実際、人が誰かをうまく助ける最も簡単な方法だ。もしあなたもやってみるなら、「Do you have the time?(時間が分かりますか?)」と尋ね、「Do you have time? (時間がありますか?〔誘い文句にもなる〕)」と尋ねないように気をつけよう。状況によっては、後者は、尋ねた人が平手打ちを食らうという結果になるかもしれない。