私の家は静かだ、静か過ぎる。
娘は2020年に高校を卒業したが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のため、カレッジに進学する前に1年間の休みを取ることに決めた。パンデミックの過去2年間は、高校の卒業式やプロム(学年末に正装で行なうダンスパーティー)など、中等教育後の教育機関(大学など)の学校生活を始めることに関連する通常のパーティーが娘にはなくなるということを意味した。彼女は、COVID-19の規制が許すときに、パートタイムの仕事をときどきして、天気が良ければテラスでマスクをして一緒に過ごすために立ち寄る友人たちの流れが絶えずあった。
公衆衛生上の命令が彼女の社交生活にもたらす制約について不満を言ってはいたが、彼女は完全な世捨て人ではなく、私たちの家はいつも彼女の10代のエネルギーで活気があった。それに、パンデミックは、私たちがもっと多くの時間を共に過ごすということを意味した。
9月に、彼女は車で1時間ほどの距離のコミュニティーカレッジに進学するために引っ越した。彼女のコースの全ては今でもオンラインで行なわれているものの、私たちは皆、実家を離れて暮らすことは成長に必要な部分だと感じていた。妻と私は、大学での勉強の最後の年に入っている上の息子のときに経験したのと同じ別れの不安を味わったが、違いがある。
息子が進学のために家を出たとき、それはちょっとした変化だった。私は、芝刈りや雪かきといった彼がかつてしていた家事のいくつかを引き継がなければならなかった。シャワーを浴びながら歌っている人が誰もいない朝はいつもより静かだった―息子は歌い手になるために勉強している―10代の少年は自分の体重と同じ量を毎週食べるようで、買う食料品が少なくなった。当然、私たちは彼がいなくなって寂しく思ったが、彼は元気にやっていて、独立している。
違いは、娘は親元を離れる最後のひなだったということで、それはより大きな変化を意味する。良い手本を示すべき子どもたちがいないと、家ではもっと自由がある。妻と私は再び新婚になったような気分だ。
娘が家を出るとき、自分のものを片付けるのに優れた仕事はしなかった。玄関ホールはまだ彼女の靴とスケートボード、最後のハロウィーンで身に着けた妖精の羽根でふさがれている。
日中は私が家を独占しているが、娘の部屋の出入口に立っているだけの時間がかつてよりもずっと多くなったように思える。ときどき娘の植物に水をやり、これから片付ける必要のある置いていかれた服や本、画材の散らかりの残りに対して首を振っている。
しかし、娘の妖精の羽根をしまう気にはなれない。