「Christmas」は「Xmas」と同じだろうか?「旧正月」に対して「春節」は?
シンガポールのような多様性のある社会では、私たちはさまざまな民族的、宗教的祭りを祝う。興味深いことに、最近では同じ祭りが違う名前で呼ばれている。それが同じように祝われているとしても。
ヒンドゥー教の光の祭り「ディーパバリ」を例に挙げてみよう。シンガポールにいる多くの人々はこれを「ディワリ」と呼ぶようになった。
この2つの言葉は「光の列」を意味するサンスクリット語のバリエーションで、基本的には同じ祭りのことを指している。ディーパバリはタミル語の言葉で、ディワリはヒンディー語の言葉だ。タミル語とヒンディー語はどちらもインドの言葉だが、異なる地域で話されている。
ヒンディー語はインドの北部と中部でより多く使われているが、タミル語はタミル・ナードゥ州とポンディシェリの人々に話されている。タミル語はスリランカやシンガポール、マレーシア、モーリシャスといった国々でも話されている。シンガポールでは、タミル語は4つある公用語の1つだ。
私がもっと若い時には、ディワリについて聞いたことがなかったので、シンガポールで「ハッピー・ディワリ」というあいさつを耳にしたときは驚いた。1つの考えられる理由としては、ここに移住してきたヒンディー語を話すインド人がより多くなったためだという学者もいる。ディワリは、インドの大衆文化でもディーパバリよりも一般的だ。私は「ディワリ」をグーグルで検索してみたところ、検索結果が9億1,700万件出てきて、「ディーパバリ」の29倍だった。
どちらの語を使うかで違いはあるだろうか?あると答える人は、特にタミル語はシンガポールにいるインド出身の祖先の多くの言語だったため、地元の文化と言葉を尊重することが重要だと感じている。同じ文化的もしくは言語的ルーツを共有していない可能性のある、より最近の移住者たちに不安を感じたり、居場所がなくなったと感じたりしている人もいる。
ディーパバリはより大きな変化の波の一部でしかない。別の例は、アラビア語の使用だ。例えば、私たちは聖なる断食月の終わりを祝うイスラム教の祭りの間に、マレー語のあいさつ「スラマッ・ハリラヤ」と言っていたものだった。最近は、代わりに「イード・ムバラク」と言うことが一般的になった。
「イード・ムバラク」は「祝福されたイード」という意味だ。「イード」は、「イード・アル・フィトル」として知られるアラビア語の祭りの名称から来ている。しかし、この祭りは東南アジアでは別の名前で通っている。私たちはたいてい、マレー語の「ハリ・ラヤ・プアサ」を代わりに使う。
言語は絶えず変化している。時間が経つにつれて、別の言葉を使うようになるのは自然なことだ。これを表すのに最も良い方法はたぶん「同じ、同じ、だけど違う」だろう。これは、タイやその他の東南アジアの国々でよく使われるフレーズだ。私は、この微妙な違いを理解し、心に留めておくことが重要なのだと思う。そうしてようやく私たちは、自分たちの過去について、そして私たちはこれからどこへ向かいたいのかについて、明確な理解が得られるのだろう。