日本に引っ越してきた外国人たちは時々、カルチャーショックの瞬間について話をする。
このような独特の国では、それは多くの形でやってくる可能性がある:初めて体験するハイテクなトイレ、ぴったり時間通りであることであなたを驚かせる電車、温泉で多数の見知らぬ人々の前で裸になることなど。
私はある程度まではこうしたことの全てと、それにもしかすると他にもいくつかを体験した一方で、私の最大のカルチャーショックの体験は、正月を初めて妻の家族と過ごしたときのことだった。
正月までの数週間に、義父は日本の正月がどんなものであるかをこのカナダ人(筆者のこと)に見せるのに明らかにワクワクしていた。私は、元旦がどんなふうに過ぎていくのかをどうにかなんとなく理解できたが、いくつかの伝統がこの大事な日まで秘密にされたままだった。
大晦日がやってきて、深夜の神社参拝以外は、年末年始の休暇が私の祖国で祝われているのと似ていた――たくさんのごちそうとお酒、楽しい会話、一連のテレビの特別番組だ。
元旦の朝は、しかし、私が慣れていたものから物事がそれ始めたときだった。
長い夜のお祝いの後で、私は1月1日は朝寝坊をして回復する気でいた。
しかし、私の素晴らしいホストたちは考えが違っていた。
午前8時までに、私たちは全員テーブルを囲んで席に着き、そこには驚くほど色とりどりの料理の取り合わせ――おせちだと後から分かった――と刺し身の載った複数の皿があった。
どれもおいしそうで、これは私の二日酔いの助けになるかもしれないと判断した。今のところ順調だ、と私は思った。
しかし、そのとき、義父が酒を取り出した。新しい年を迎えるために、全員が酒を一口飲むのが伝統だと、彼は私に教えてくれた。
さらなるアルコールを取るのは、私の二日酔いに最善のことではなかったが、絶対に伝統を拒否したくはなかったので、一口すすって、盃を次の人にまわし、しばらくはこれで酒はおしまいだと判断した。
すると、義父はビールを取り出した。
「これは本当にもう1つの日本の伝統なのか?」と私は思った。
これは日本の伝統というわけではそれほどなく、本当は義父の伝統であるだけだと分かる。
よし分かった。乾杯!
1時間か2時間たつと、たっぷりのおせちとビールの後で、私は午前中の昼寝をする気だった。
「楽しかった」と私は妻に言った。「でも、疲れ切ったよ。正月が1年に1回で良かった!」
「あれ、言うの忘れてた?」と彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべて返事をした。「日本では、3日間祝うんだよ。今は休んだ方がいいね。明日もまたこの全てをする準備ができるように」。