かつて、30年ほど前、私はロッククライミングやバンジージャンプといった冒険的なスポーツに興味のある女の子に言い寄っていた。彼女はスカイダイビングをやってみたがっていた。弱気な男が美人を得たためしはない。だから、パラシューティングのクラスを受講するというデートの約束をした。
トレーニングは午前8時にスタートし、私たちは午後から飛んで、生き残った人たちにはその後、バーベキューがあった。もしも最終的に降下地帯に飛び散っても訴訟を起こさないことを約束し、腰の不調、心臓疾患、精神疾患にかかっていないということを宣誓する署名をしなければならない書類があった。精神疾患があるとスカイダイビングをする資格が得られないのか?私はそれは必須条件だと思っていた。
午前中は、パラシュートがどのように機能するかについてと、予想されることについて学んで過ごした。午後に私たちは、高さ1メートルの台から両足を揃えて膝を曲げて飛び降り、地面に付いたら転がるという着地の練習をした。完全に開いたパラシュートの下では、速歩き程度の速度の時速20キロ以下で着地するが、それでもひどく失敗すれば背骨が折れる。
私は怖くなかった。空中に行き、900メートルの高さにある完全に安全な飛行機から飛び降るとき、自分と自分がぺしゃんこになることの間にはシルク1枚しかないのだと認識するまでは。さらに悪いことに、高品質のパラシュートではなかったが、軍との契約で作られたものだった―彼らが買うことができる中で最安のものだった!それは突然、重要なことのように思えた。
私が足を風にそよがせて座っているときに、私の指がドア枠に残したへこみに対して、彼らが追加請求をしなかったことに驚いている。初心者には、リップコード(パラシュートを開くためのひも)を引っ張り忘れることがないように、パラシュートを飛行機に取り付けられている線がある。ジャンプ講師が「ゴー!」と叫び、私は身体を空へと弓なりにそらし、叫び、悪態をつき、それから見上げると美しく丸いパラシュートのかさが見えた。
パラシュートが開いたとき、グイっと身体を引っ張られる感覚はなく、落ちている感覚もなかった。無重力で静かな雲の上に立っていた。カモメが1羽近くを飛び、私たちはお互いに頷きあった。地上の生物の上を漂う神になったような感覚がした。
着地するためには、地平線上の一地点を選び、地面からの距離を測るように教わる。私たちは下を見ないことになっていた。「下を見ないでください」と無線で言われた。私は下を見ていて、地面が私にぶつかってくるのを見た。足を引きずるように歩いてでも、歩いて離れることができる着地は良い着地だということらしい。アドレナリンがほとばしって、はるばる駐車場まで側転して戻ることもできただろう。
私のデートの相手は、正気に返ったようで、姿を現すことはなかったが、私は愚かにも自分の新聞のコラムに自分の計画について書いてしまっていたので、約束を取り消すことはできなかった。ああ、私は読者のためにここまでしてしまうんだ。