私の新しい家はニューメキシコ州ラスクルーセスにある。この州の歴史は魅力的だと思うので、その理由をお伝えしたい。話すことはたくさんあって、最初に話すのに一番よいのは名前だ。
私たちの小さな町は、メキシコのすぐ隣りのリオ・グランデ川沿いにある。ニューメキシコ州はメキシコにちなんで名付けられたと思うかもしれないが、それは正しくない。
メキシコにも、ニューメキシコ州にも、コロンブス以前の文明と、先住民の文化と多くの戦争の1万3,000年を含む歴史がある。進んだ武器を持っていて欲の強いスペイン人の征服者たちは、16世紀に両方の領土を掌握し、「ニュースペイン」と名付けた。現代におけるメキシコは、アステカ人とメシカ人に統治されていた。彼らの帝国の主要拠点は、元々そこに住んでいた遊牧の民であるメシカ民族にちなんで名付けられた肥沃な地域メキシコ盆地にあった。この場所は、100万人以上の人口がいたニュースペインの重要な中心地だった。
フランシスコ・ヴァスケス・デ・コロナドが1540年にニューメキシコの探査を率いた。彼はここをメキシコ盆地にちなんで「ヌエボ・メヒコ」と呼んだ。銀の炭鉱と「金の都市」という物語に興奮して、スペイン人の征服者たちは入植地を建設し、先住民プエブロ族をキリスト教に改宗させようとした。
滅亡した先住民アナサジ族と、プエブロ族よりも前にあった他の先住民の洗練された文化は、スペイン人が到着するずっと前に、都市とかんがい設備を建設していた。プエブロ族は、半遊牧民のナバホ族とアパッチ族の多くの人口から分離したため、極めて分散的だった。さまざまな民族が、1680年代のスペイン人に対する歴史的な南西部の反乱に参加した。スペイン人は攻撃的な奇襲部隊から自らを守るため、18世紀初めまでに25ヵ所以上の要塞を建造した。
スペイン人たちは、25年に及ぶ独立戦争でようやくメキシコが主権を手に入れた1824年まで支配した。
メキシコはヌエボ・メヒコを掌握した。1848年、メキシコ=アメリカ戦争の後、メキシコはヌエボ・メヒコの領有権をアメリカに委譲した。ヌエボ・メヒコは、州になるまで―47番目の州として合衆国に承認されるまで―アメリカ領のままだった。
数世紀にわたる武力衝突と征服の結果、アステカ帝国のような誇り高い生産的な社会は消滅した。アステカ人の子孫わずか150万人が今でも耕作し、工芸品を作っていると言われている。その後、アメリカ政府と西部の領土へのアメリカ人入植者たちが、1,200万人のアメリカ先住民族の領土を侵略し、彼らの土地を盗み、多くの人々を殺し、生存者たちを居留地に閉じ込めた。現在、わずか500万人しか残っておらず、約8割が居留地で生活している。
歴史は教訓となる話になりうる。強欲と搾取は今でも存続していて、素晴らしい国が没落し、素晴らしい人々が滅びる可能性があることを私たちに思い出させる。歴史は重要である。