北アメリカの人々は100年を長い期間を考え、ヨーロッパの人々は100キロを長い距離だと考えるということわざがある。
このことわざの背後にあるのは、アメリカ人とカナダ人は、広大な土地を長距離ドライブするのに慣れているが、ヨーロッパと違って、数百年前からある建物は珍しいものだという考えだ。
確かに、メイプルシロップと凍える寒さの冬、アイスホッケーの他に、車での長旅以上に「カナダ」らしいと言えるものはあまりない。
他の選択肢がないため―カナダの鉄道網は乏しく、飛行機は高い―、車は最も安く、最も便利な移動手段だ。
子どもの頃、私の家族はバン車に一斉に乗り込んで、避寒用別荘にいる祖父母を訪ねてフロリダまで22時間の旅をしたものだった。ある年、私はこの長旅を切り抜けるためには車内での娯楽が必要だと決意した。小さなテレビを買って、ファイナルファンタジーをしながら、移動時間をこの上なく幸せに過ごせるように、プレイステーションをつないだ。
友人たちと私は運転免許を取ると、湖畔のコテージか、別の市の友人を訪れに、喜んで長旅に出掛けたものだ。ときには、金曜日の夜に出発して、日曜日に戻ってくることもあった。つまり、週末のかなりの部分を公道で過ごしていたということだ。
こうした週末の旅は、片道10時間もかかることもあり、気弱な人には向いていない。
ジャンキーなスナック、ファストフード、エナジードリンクがわれわれの主な栄養源だった。
音楽はいつも、運転手が選んだもので、私は今でも、特にある旅を考えると身震いする。そのとき、友人の1人はニッケルバック(カナダのロックバンド)にはまりこんでいたのだ。
当時は私たちの誰も自分の車を持っていなかったので、いつも親の車を借りていた。ということはつまり、たいてい使える中で最も古い車になり、だいたい壊れかけの車だった。たびたび、エアコンが故障していたし、私の親が彼らの古いトヨタカローラを貸してくれたら、私たち全員がiPodを持っている時代にカセットテープで何とかしなければならなかった。
でも、こういう車の旅は、友人たちの間で絆を深める素晴らしい経験でもあったし、最も記憶に残る瞬間や最大の笑いのいくつかは車中で起こることも多かった。何時間も迷って、暗い砂利道に沿って危険な旅をした後、午前1時にようやく友人のコテージに車を止めたときの喜びと安堵の感覚を、私はこれからもずっと覚えているだろう。
日本に住んでいる今、100キロは昔よりもかなり長い感じがする。だが、レッドブルを手に、両親の1995年製カローラのブーンという音の上で流れるレッドツェッペリンのカセットと一緒に出かけることを思うと、今でも懐かしさを覚える。