今年、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相がハーバード大学で学位授与式のスピーチをした。彼女はニュージーランドがいかに小さいかを前提に、聴衆の中にいたニュージーランド人30人のうちの少なくとも1人と彼女は親戚だろうとジョークを言った。最近、ほぼ3年ぶりに、ニュージーランドにいる友人と家族の元をようやく訪れることができた。そして、まさにニュージーランドが実際、どれだけ素晴らしく小さいかを思い出させられた。
ある夜、パートナーと私は、ウェリントンの静かな市街地の通りで友人が迎えに来てくれるのを待っていた。私たちの前にいたのは、車のバッテリーが切れてしまった男性だった。偶然居合わせた知らない人が偶然必要なケーブルを持っていて、この立ち往生してしまった男性と彼の家族を助けていた。音を立てて車のエンジンがかかり始めると、この男性たちはガッツポーズをして喜び、それからきちんとお互いに自己紹介をした。するとそのとき、私の友人がちょうどこの親切な男性の車の後ろに車を止めた。私たちは彼女の車に乗り込み、この親切な男性のことを彼女に話した。彼女は彼をじっと見た。「私、彼のこと知ってると思う」と、彼女は言って、会社のイントラネットを確認した。「ああ、あの人は販売部のグレッグだ」。
日本に戻る途中、空港のチェックインの列で待っていると、私たちの前にいた年上の日本人女性が、到着手続きと荷物について私たちに英語でしゃべり始めた。彼女は私に日本語で、日本語を使った方がよいかと尋ねた。私は日本語で、どちらの言語でもいいと答えた。彼女はニュージーランドにあまりにも長く住んでいるので、自分の日本語は少し変になってきたと言った。私は、彼女はかなりフレンドリーだと思った。
移動の最初の区間で、どういう訳か私は「あのフレンドリーな女性が私の高校時代の日本語の先生だったら面白くないか?」と思った。その種は今植えられた。そして、彼女が私の元先生だったという予感が育ち始めた。
次の空港で、私たちは入国審査へ行く途中で彼女とまた偶然鉢合わせた。熟練のストーカーのように、私はどうにか彼女の搭乗券をちらっと盗み見て、彼女の名前を見ることができた。あり得ない! コジマ先生だ! パスポートの列で彼女に、私がかつて通った高校で教えていたことがないか尋ねた。彼女は、あると答えた。私は空港のガイドラインを破り、マスクを外した。「サム!」と彼女は叫んだ。それは本当に現実離れしていて、これだけの時間が経った後で、近況を彼女と話し合うことができたのは素晴らしいことだった。
誰もがこれまでよりも移動と社交をもっとし始める中で、人と再びつながりを持つことは、私が楽しみにしていることだ。25年後に、私は日本へ戻る途中に高校時代の日本語の先生と再会した。それが起こる確率はどのくらいだろう? ニュージーランドにいたら―その確率は実はかなり高い。