私は車を運転しないが、最近よくUターンについて考えていることに気付いた。
1月にシンガポールの「ハイテク起業家」で発明家のシム・ウォン・フー氏が突然亡くなった。彼の会社、クリエイティブ・テクノロジーは、パソコンの音質を上げるための回路基板サウンドブラスターや個人向け娯楽商品で有名だ。彼はまた、2006年に特許侵害をめぐり、アップル社を訴えたことでも有名である。彼は和解金1億ドル(130億円)を手に入れた。
シム氏は本音を語ることを決して恐れなかった。多くのシンガポールの人々の共感を呼んだ彼の最も有名なエッセーの1つは、Uターンについて、言い換えれば、彼が「ノー・Uターン・シンドローム」(NUTS)と呼んでいたものについて語っていた。
彼によると、「NUTSは、あなたが何かをしたくて上部機関からの承認を求めるときのことだ。そのようなことをしてよいというルールがない場合、標準的な答えはノーになる」ということだ。
1999年の彼の本『Chaotic Thoughts from the Old Millennium』で彼は、アメリカ人とシンガポール人がUターンについてどんなふうに異なるアプローチを取っているかについて書いた。アメリカでは、Uターンを禁止する道路標識がない限り、Uターンできる。Uターンが許されていない場合、当局は道路標識を設置する。
シンガポールでは正反対だ。車を運転する人は、標識が明確にUターンができると告げている場合にのみ、Uターンができる。もし、そうした標識がなければ、Uターンをすることは許可されていない。
シム氏は、それが及ぼす社会的影響は重大だと感じていた。「シンガポールでは、標識なしではUターンしないという文化が、われわれの思考のあらゆるレベルと、われわれの生活のあらゆる部分に染み込んできた。このUターン禁止文化は、ルールに基づいた生活様式を創造した。Uターンの標識があるときか、ルールがあるときに、私たちはUターンできる。…ルールがないとき、私たちは何もできない。私たちはまひしてきている」。
彼は例を挙げた。彼の会社が会社本部をクリエイティブ・リソースと名付けたいと考えたが、建物の名称は全て、承認を求めるために外部の当局へ提出されなければならないと告げられた。「センター」「プラザ」「ハウス」のような語が入っていなかったため、彼らの提案は拒絶された。シム氏にとって、このことはNUTSの典型的な事例だった。「リソース」が公式リストにないので、答えはノーだったのだ。彼は嘆願書を書いて応戦し、最終的に彼の申請は承認された。
明確なルールとガイドラインがあることに利点はあるものの、柔軟性を持ち、既成概念にとらわれずに物事を考えることは重要だというシム氏の見解に私は賛成だ。例えば、学生が部活動をすることが義務になっているかもしれないが、何も興味を引くものがない場合、自分独自の部を作ることができるべきだ。それが職場であれ、学校であれ、私たちが自分の目標を、常にルールブックをまず参照しなければならないということなしに、追求する道があったほうがいい。