都会に住むのが好きな人もいる。エキサイティングだし、人間観察に最高だし、便利でもある。田舎に住むほうがいいという人もいる。都会よりも静かだし、空気がきれいだし、自然がもっとたくさんある。私はしかし、日本の郊外に住むのが好きだ。郊外には、都会と田舎暮らしの両方のいいところがあると言えるだろう。しかし、私が郊外を楽しんでいるのは、残念ながら、私がちょっと詮索好きな近隣住民になったかもしれないからでもあると思う。
私は都会で人間観察をするのが好きだが、郊外の住宅街をぶらぶらして、人々がどのように暮らしているのかを観察するのも好きだ。窓辺には何があるだろう? 庭には何が生えているだろう? 玄関の表札を観察するのも楽しんでいる。漢字を読む挑戦を楽しんでいる。名前を表示するのにどんなフォントと色を選んでいるのかを見るのが好きだ。金属を選んだのか? それとも大理石? 名前をローマ字表記にしたのか? 名前と表札のデザインをもとに、その家に住んでいる人についてたくさんのことを見分けられると思う。
いくつもの家族の名前が表示されている表札もある。私たちの近所のある家では、子ども全員のファーストネームが銅のプレートに刻まれていた。別の家では、残念なことに、女性の名前が男性の名前よりもかなり小さかった。ごくたまに、日本人ではない名前を見かける。
ほとんどの場合、私は漢字の読み方にかなり自信をもっている。しかし、これまでに出くわした読み方が全く分からない名前はたくさんある。私はいつもその表札の写真を撮って、後で調べたいと思う。問題は、かなり怪しく思われずにこれを実行するのは難しいということだ。その名前がどんな見た目だったかを覚えていて、それを再現して、日本人の友人に読み方を尋ねることができるときに、友人たちもよく分からないと言うと、ややほっとする。日本の名前の読み方は、人名も地名も、複雑になりうる。その名前は「ほった」さんなのか、「ほりた」さんなのか? 「なかしま」さんなのか、それとも「なかじま」さんなのか?
考えてみたら、詮索好きの近隣住民は、周りの人々についての情報を意図的に、そしてときに強引に、見つけ出すという評判がある。しかし、私は単に、自分のまわりにすでにあるものを観察するのが好きだ。なのでたぶん、私は好奇心旺盛な近隣住民ではあるけど、詮索好きというほどではないと思う。だから、もしあなたが日本の郊外に住んでいて、ある日、ドアの外であなたの家の表札をじっと見ている見知らぬ人を見かけたら、驚かないでほしい―それは、あなたの名前の漢字を後で調べるために頑張って覚えようとしている私である可能性が高い。どうか私を警察に通報しないで。