「大きくなったら、関西のおばちゃんみたいになりたい」と、友人と私は何年も前に冗談で話していたのを私は覚えている。私たちは、大阪の中学校で一緒に働き始めたときに初めて会った。関西地域の中年女性や高齢女性たちと一緒になったときの経験から、私たちは彼女たちが人生を最大限に謳歌(おうか)して、自信いっぱいでいることを見て取ることができた。彼女たちは大声で話をして、もっと大声で笑う。関西のおばちゃんを1人味方に付けたら、どんなけんかにも勝てる。もし関西のおばちゃんと対立したら、うーん、幸運を祈る。
私はいつも高齢者を尊敬している。私の住んでいる静かな近所について好きなことはたくさんあるが、1番は近所の高齢の人々だ。彼らはいつも私のパートナーと私を温かく、親切に、気前よくもてなしてくれる。彼らは私たちの庭から野良猫を追い払い、家を離れているときは家を見守ってくれる。彼らは私たちに道具を貸してくれる。彼らは私たちに陽気な笑顔を見せてくれるときや、彼らが野球を見ているときに喜びで歓声を上げているのが私たちに聞こえたとき、必ず私たちの心を温かくしてくれる。彼らはいつも、そのアクティブさで私たちに感銘を与えてくれる。
数ブロック離れたところに、私の近所では退職した人々がいかに元気で健康かを示すもう1つの例となるおばちゃんが1人いる。彼女は、文化財認定のある美しい伝統的な日本家屋に住んでいる。彼女がとても高いはしごのてっぺんで、巨大な木の枝をのこぎりで切っているときに私は初めて彼女を見た。別のときには、彼女がプロのように外壁の1つを修理しているところを見かけた。
それから、毎朝の散歩に違いないものに出かけるフレンドリーな高齢の夫婦がいる。私はときどき、ランニングの最後にこの二人を見かける。二人はいつも一緒にいて、ときどきおそろいの服を着ている。朗らかな「おはよう!」を彼らから聞くことは、私が走りに出かけてよかったなと思うことのちょっとした1つのようになっている。こうした高齢の人々は皆、元気いっぱいで、彼らは私にも生命力を与えてくれる。
あのコメントを友人と私がしてから、20数年がたった。今の私たちにとっては、あれはジョークではなく現実になっている。私の友人は今でも大阪にいて、私は神戸にいる。私たちのどちらも、ヒョウ柄の服を着るようにはなっていないとしても、私たちはどちらも、確実におばちゃんと呼ばれる人生のステージに入っている。バッテリー駆動の自転車に乗っているときに、あなたは彼女に盾突きたいとは思わないだろう。それに、もし私が、ごみやリサイクルごみを指定された時間以外にあなたが出しているのを見かけたら、あなたは文句を言われるでしょう。でも今は、私は新しいおばちゃんの目標がいくつかある。引退したら、近所のおばちゃんやおっちゃん―温かくて、歓迎してくれて、外壁を修理できるくらい健康で、元気いっぱいの―のようになりたい。