幼児について知ったことの1つは、興味がおむつ交換と同じくらい頻繁に変わるということだ。
ある週、私の2歳の娘はお絵描きと塗り絵に夢中になり、次は上機嫌でおもちゃのピアノを弾いて長時間過ごす。阪神タイガースがこの秋に日本シリーズで優勝に向かっていたとき、娘は大喜びで一緒に応援して、タイガースのマスコットのぬいぐるみで遊んだ。今は気の毒なラッキーは、ほこりをかぶっている
こうした段階は、見守っていて楽しく、私はいつも興味を持って彼女が次に何に夢中になるかを見ている。
最近は娘の主な関心は典型的に男の子を連想させるものだ:車だ。あちこち出歩いているとき、娘は興奮して車を指差し、家に帰るとおもちゃのトラックで遊んでいる。お気に入りの映画はアニメ映画『カーズ』だ。
彼女の車好きがどこから来たのかは分からない。しかし、このことから私は、性別によって分けられたおもちゃと、女の子は人形で遊び、男の子はトラックで遊ぶという旧来の考えについて考えさせられた。
子どものとき、弟と私は人形やおもちゃのキッチンを持っていなかったが、おもちゃのアイスホッケーのスティックや電車セットは持っていた。
私はそのことについて親を責めされない。ただ単に、1990年代は物事がそんな感じだった。
自分が父親になったとき、2020年代となった今では違っているだろうと期待したが、古い伝統はどうやらなかなか壊れないようだ。
アメリカの雑誌『アトランティック』に最近載っていた記事の著者は、子ども向けのテレビ番組の放送中に流れるコマーシャルについて研究し、おもちゃの広告の68%が男の子だけあるいは女の子だけを登場させていたことを報告した。男の子と女の子が両方とも広告の中に出てきていても、女の子はいつもおもちゃのピンクのバージョンで遊んでいて、男の子は青いバージョンで遊んでいるところが示されていた。
この記事には、ほとんどの親たちが、「男の子向けのおもちゃ」か、「女の子向けのおもちゃ」かにかかわらず、子どもたちが好きなおもちゃで遊んでほしいと思っているにもかかわらず、こうした類いのマーケティングが行なわれていると書かれていた。
それはまさしく、妻と私が娘に持っている意見なので、娘の車好きは私たちには一向に構わない。
子どもが子どもで在れるようにすることと、子どもに自分のおもちゃを選ばせることからは好ましいことしか見られない。
私が子どものときにキッチンセットを持っていたら、たぶん私は10代のときにもっと料理に興味を持っただろう。そして同じように、私の娘が車に関心を持っていることは、もしかしたら、エンジニアリングのようなものを学びたいという意欲につながるかもしれない。
結局のところ、私は娘が自分の好きなおもちゃで遊んでいるのを見るのがうれしい。
ただし、それが読売ジャイアンツのぬいぐるみでさえなければ。