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  3. 2024.1.19

The middle of somewhere何かがある場所

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「それってどこ?」「聞いたことがないな」。これらは、私が広島の田舎の地域を巡るツアーへ行くことを日本人の友人や知人に話したときによくある彼らの反応だった。

広島の中心部からそこへ向かう2時間のバスの乗車中、市街地を離れた後すぐに景色が変わった。山間部へと曲がりくねった道を進むと、高層マンションがやがてなくなり、チェーン店の全てがなくなった。

停留所「庄原」で降りたとき、私が最初に気付いたものは、とてもかわいい電車の駅だった。それから、田舎にいるだけで、見えるもの、聞こえる音、周りの環境の香りに気付く時間ができるということに気が付いた。

「ツアー」というのが、私が行ったものを表すのに最も適切な言葉かは分からない。この言葉に私が連想するのは、混雑したバスと、有名な名所を次々に巡るようにせかされること、その概要を得ること、行った場所はリストにチェック済みだという印をつけること、次の立ち寄り場所へ移動することだ。立ち止まって息をつくゆとりはなく、見ているもの、聞こえてくるもの、していることを味わう余裕はない。庄原への私の旅行は、ツアーではなかった。それは体験だった。むしろ、体験のコレクション(集合体)だった。

牛へ感謝の気持ちを示す古い日本の慣習について学んだ。それから。先史時代にはそこは海水位がとても高く、現在の山岳地帯になっているところでクジラが泳いでいたという。古民家―美しく改装された伝統的な日本家屋―に宿泊し、地元の材料を使ったおいしい食事をいただいた。美しい夕日の写真を撮りながら、電線のない空のラインを見た。きのこを採り、最も高級なパルメザンチーズのようなみそを味見し、火の起こし方とプロのように薪割りをする方法を学んだ。

市街地へ戻るバスに乗っていると、チェーン店とマンションが再び現れ始め、少し悲しくなった。日本の田舎からの知識が現在の住民たちには廃れているかもしれないことが悲しかった。もっとゆったりと、もっと丁寧に、もっと注意深く―日本の田舎に暮らしている人々のように―暮らすことから私たち都会人が学べることはたくさんある。

何もないところへ行ったんだねと言う人もいるかもしれない。しかし、私は確実に何かがある場所にいた―長い歴史と、豊かな文化と、興味深い人々と、美しい景色と、美しい食事のある場所に。

私は庄原に他の人たちを連れてまた来たいと思う。日本の他の田舎も旅したい。願わくは、そうした田舎の地域が田舎であることを誇りとして、人々にゆったりとした旅を試してみるように推奨してもらえたらとも思う。庄原のような場所はいつも地図に載っている。私たちの頭の中にもそうした場所を入れるときだと思う。

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