スキャンする。言語を選択。下へスクロール。注文に追加。上へスクロール。下へスクロール。印刷されたメニューに載っている飲み物が見つからない。上へスクロール。下へスクロール。あの飲み物はどこ?
昨年、レストランで注文するとき、タッチスクリーンは私の敵だと思った。しかし最近、新たな対戦相手が現れた:QRコードの注文システムだ。あるいは、私はこう呼ぶのが気に入っているのだが、「Q-arrgh」コードの注文システムだ。
「Arrgh!(「あー!」「もう!」などの驚きや怒りなどを表す間投詞)」は、私がQRコードを使って注文しなければならないときによく感じるいら立ちを表している。レストランの中には、ありがたいことに、QRコードを使うか、人間の店員さんに話すか、選ぶ選択肢を与えてくれるお店もある。しかし、その他のレストランでは、スタッフが私たちを席に案内して、その後、QRコードを指差し、ここから注文するように求める。「だけど、それからあなたは何をするつもりなの?」が、よく私が疑問に思うことだ。
この少々冷たい接客のしかたにより、かつてのお気に入りのバーは私が行くのを楽しめない場所になってしまった。友人と最後に行ったとき、客よりもスタッフの方がたくさんいた。客は、QRコードの注文システムをいじり、スタッフは突っ立って、おしゃべりをしていた。
他の多くのことではQRコードは好きだ。英語を練習できるリンクにアクセスできるように、生徒たち用に自分でQRコードを作成している。だから、QRコードはとても便利で役立つと思っている。しかし、レストランという状況では、それは定かではない。接客係の役割が客に対応することではなくなり、注文されたものを運んできて、料金を集めることだけであるならば、簡単に機械に取って代わられるだろう。
レストランが人員不足であるならば、QRコードを使う魅力は理解できる。あるいは、客がさまざまな別の言語で注文できるようにしたいのであれば。それに、みんながそれぞれ自分の携帯電話を使うのであれば、タッチスクリーンを共用するよりも間違いなく衛生的だろう。だがしかし、本物の人間に話しかけることができるというのもいいと思う。あるメニューに何かアレルギーを起こす可能性のあるものが入っているかどうか、店員さんに聞きたいことがあるかもしれない。店員さんたちの意見や何かについておすすめも聞きたいかもしれない。上達しようととても熱心に取り組んできた日本語を使いたいとさえ思うかもしれない。飲みたい飲み物を探すのに長時間かかり、もう少しで飲み物を注文するのを諦めるところだった。これは、私が使う金額が減った可能性もあったということを意味した。
さて、私が飲みたかった飲み物はどこにあったのだろうか? 結局、テーブルのベルを押して、近くでのんびりしていたたくさんの接客係の店員さんのうちの1人を呼んだ。彼はなぜか見当たらない飲み物の注文を私から聞く羽目になった。QRコードの注文システム上でメニューの更新を誰かがしていなかったのだと思う。あーもう!