最近、面白いビデオコンテストを偶然見つけた。テーマは「日本と関係」。コンテストの参加者はこのテーマを、例えば、恋愛の関係でも、日本との彼らの関係でも、好きなように解釈することができる。うたい文句は、参加者が動画の中で使えるのは6つの単語だけというものだ。
面白い挑戦だと思った。動画を作る時間はなかったが、日本と私の関係を6語で考えてみようとした。結果的には、2語でまとめることができた:「イエス、そして…」だ。
イエス、日本は世界で最も洗練されたハイテクなトイレを作っている。そして、ファックス機―多くの国々では技術上の遺物となっている―が今でも使われていて、日本では多くの事業者にとって必要不可欠なものになっている場合もある。
イエス、公共の場で女性が腕や胸を露出し過ぎることは不適切であるとみなされている。そして、コンビニエンスストアでは、胸の大きな女性がすべてさらけ出している写真が表紙のアダルト雑誌の棚がはっきりと見えるところにある。これらの雑誌は、幼い子どもたちの目の前にあることもよくある。
イエス、私は自分の携帯電話を使って、素早く効率的に配達の日時変更をしたり、旅行や食事やサービスの支払いをすることができる。そして、私は印鑑を持っていないために、ジムの会員登録の支払いができない可能性がある。
イエス、日本の細部へのこだわりは素晴らしい芸術作品と、秒単位で定刻通りに動く公共交通機関を意味している。そして、私が使いたい切手の角が2ミリなくなっていたら、私はそれを使うことはできない。このことは本当に私に起こったことだ。問題になった切手を調べた郵便局員は、申し訳なさそうな顔で私の助けになろうと試みた。「この欠けている部分を探して見つかったら、これを使うことができます」とその人は言った。
私は日本で交換留学生だったとき、私たちの世話をしてくれたカナダ人の教師の1人が言った:「日本は矛盾の地だ」。なので、自分と日本との関係について私はなぜ「イエス、しかし…」と考えなかったのだろうかと不思議に思った。
私はかつては「イエス、しかし…」という関係を日本と持っていたと思う。それでも、私は気付けばここに戻って生活していて、それも1度ではなく2度も戻ってきた。しかし、「イエス、そして」は自分では必ずしも変えられないことを受け入れるのに役立つと思う。その矛盾を好きになる必要はない。私はただそうした矛盾を受け入れられるようにならなければならない。
どこで暮らそうとも、不満は常にある。しかし、こうした不満に「イエス、そして」のマインドセットで向き合うことができれば、そこで長期的には幸せに暮らしていくのに役立つと思う。イエス、日本では実によく機能しているものがたくさんある。そして、改善の余地がたくさんある。私は滞在して、物事を改善するのを助けようとするつもりなのか? それはきっぱりとしたイエスだろう。