私は最近、ソーシャルメディア上でみんなの前で恥をかかされた。加齢についての穏やかなジョークを投稿したら、他の人を怒らせた。私たちは最終的に口論になった。同じ週に、私は髪の毛が減ったために、自分の見た目に恥ずかしいという思いを抱いている自分に気付いた。そして、経済的な危機が私の人生に突然起こり、恥が再び芽生えた。何が起こっているのだろうか? 私の自尊心が消えそうになっているような感じがした。
私は恥をもっとじっくりと見つめてみることにした。それは罪悪感と同じだろうか?
恥は罪悪感と混同されるべきではない。罪悪感は、自分の価値観に反する行動を取るときに大きくなる。罪悪感はよいことにもなりうる。間違っていると分かっていることをするとき、罪悪感は正しい道へ引き戻してくれる。
しかし、恥はネガティブな感情だ。恥とは、自分には欠点がある、自分は不十分だ、自分は同輩に見合わないと自分に対して言うときの感情だ。罪悪感や恥を感じるちょっとした瞬間は誰にでもあるが、自己嫌悪と自分への猜疑心が習慣的になるとき、恥は幸福に対して有害なものとなる。
恥は子どもの頃の正常な発達である。しかし、臨床心理学者で『Breaking the Chain of Low Self-Esteem』(「低い自己肯定感の連鎖を打開すること」という意味)の著者であるマリリン・ソレンセン氏によると、「継続的に批判されたり、厳しく罰を受けたり、育児放棄されたり、見捨てられたり、他の方法で虐待されたり、ひどい扱いを受けたりした子どもたちは、自分が世界に『合って』いない―自分は不十分である、劣っている、もしくは価値がない―というメッセージを受け取っている」のだという。
精神医療の専門家たちは、この「有害な恥の意識」は摂食障害、家庭内暴力、薬物乱用、あおり運転、性犯罪などの多くの問題において1つの要因となりうると報告している。
重度の恥の意識は、人々の生活を損なうことがあり、自分一人では克服するのが難しいものになる可能性もある。精神医療の専門家の助けは、非常に重要なものとなることがある。恥は孤立を好むので、一人でやるとしてもそれを分析することは重要だ。恥に対処する重要な方法の1つは、自己受容と自己愛を通じてすることだ。このことは、有害な恥を抱える人々にとっては無理難題のように聞こえるかもしれないが、人生におけるある状態を自覚することはそれにストップをかける最初のステップになるときもある。自分または自分がどんな人間であるかを変える必要はない。しかし、あなたは今あるそのままで全く大丈夫なのだということを受け入れ始める必要がある。自己愛を高めていくことは常に、経験と自覚を伴う成長と成熟の指標だ。
私自身の人生においては、私の育ちは批判と暴力と恥をかかされることでいっぱいだった。自信と十分な能力のある女性へと自分を再構築するために熱心に取り組んだ。機能不全の子ども時代に私の人生を支配させておくことを私は拒否した。私はこのことをいつも自分に思い出させる必要がある。もちろん、私たちは昔の経験を完全に消し去ることはないが、自分は価値があるのだと自分に対して言う時間をとることは重要だ。