Engrishについてあなたはどんなことを知っているだろうか? そう、その通り、「r」のスペルの入ったEngrishのことだ。Engrishとは、アジアで身につけられている洋服や服飾品によく見られる英語の種類のことだ。その名が示唆するように、英語なのだが正確な英語ではない。
出掛けているときの私の趣味の1つは、Engrishを探すことだ。去年はバッグにこんなメッセージ―ここに印刷されている通りに―が書かれているのを見かけた:“Enjoy a good laugh. happy smiling face is shown Thanks to you.”(「良い笑いを楽しもう。幸せな笑顔はあなたのおかげで示されている」の意)。
さて、これはなぜ英語ではあるが正確な英語ではないのだろうか? 私は前に、何を言うかと、それをどのように言うかのバランスを取ることの重要性について話したことがあるが、Engrishは両方に当てはまる。伝えられているのはポジティブなメッセージ(「何を」)である。そして、Engrishの文法(「どのように」)は、常に自然な響きであるというわけではないにしても、文法のルールには従っている―あるいは、十分に近い。しかし、Engrishはもう1つ重要な3つ目のチェックボックスを浮かび上がらせる:「なぜ」だ。このメッセージがなぜバッグの上にかかれている必要があるのだろうか? なぜこの書体で? なぜこんなぎこちない句読点の付け方をしているのか? たぶん、この感覚は、日本人や中国人が誰かの体に書かれたタトゥーの漢字を見かけたときと似ているかもしれない。漢字と文法(「何を」と「どのように」)は正しいかもしれないが、「なぜ『龍』?」という疑問が残るだろう。この人は龍が好きなのだろうか?と。
しかし、私は自分独自の「なぜ」を理解したかもしれないと私は思う。Engrishについて私が気付いた1つのことは、それはいつも私を立ち止まらせ、この言葉の背後にあるメッセージについて考えさせるということだ。それが意図されたかどうかにかかわらず、メッセージはかなり深いか、とてもポジティブなものであることが多い。
以前、混雑した横断歩道で信号が変わるのを待っていた間に、誰かのサイケデリック柄のトップスの背中に何かが書かれているのに気付いた:“If you close your eyes, you can see the music.”(「もしあなたが目を閉じれば、音楽が見える」の意)と書かれていた。私は目を閉じてみることにした。すると、人混みの中でさえも一瞬の静寂を見つけた。
時々、Engrishには思いがけず笑わされることがある。7月に駅のプラットフォームで1人の女性とすれ違ったときもそうだった。彼女のTシャツには太字で“You made my day.”(「おかげでいい一日になりました」の意)と書かれていた。しかし、彼女の顔に浮かぶしかめっ面を見て、私は「本当に?」と聞きたくなった。その日は誰もが彼女を失望させたのだと私は思う。
長袖の服だと暑すぎる気候になる前に、私はスーパーマーケットの近くで高齢の女性が、“What’s cooler than being cool?”(「クールであるよりももっとクールなのは何か?」の意)という質問を投げかける明るい青のトレーナーを来ているのを見かけた。おばちゃん、その答えは「あなた」だと私は思う。
Engrishは必ず、私に楽しさか、何らかの方法で立ち止まって考える機会をもたらす。Engrishはそれが書かれたものを身に着けている人に対しては効果をもたらしていないかもしれないが、私はこれからも一回分のポジティブなエネルギーをちょっともらう1つの方法としてEngrishに注目し続けることにしている。そうすれば、”Every day is enjoyed.”(「毎日が楽しまれる」の意)。