私の心臓はドキドキしている。私は少し汗をかき始めている。私の後ろに並ぶ人の列が長くなってきていて、私は決断をしなければならない。速く。ハンバーグ・ステーキの中にはチーズを入れたい? 付け合わせには何がほしい? ドリンクとのセットにした方が安くなる? 他のこのオプションは何? 今、注文を消してしまった?
こうしたことは、テーブルにつく前にタッチスクリーンで注文しなければならないときに私がいつも陥るパニックの状態だ。運がよければ、私が一体何をしているのかを理解する間に他のお客さんが使える他の機械が少なくとも2つはある。しかし、大概、入ったレストランが忙しそうに見えて、十分な数のタッチスクリーンの機械が見当たらなければ、私は別の店へ行く。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが始まって以来、人々の間での面と向かってのやりとりの量を減らすためにたくさんの対策が行なわれてきた。そうした対策の中には、受付のエリアの多くで見られるプラスチック製のついたてなど、嫌なものもあれば、レストランでのタッチスクリーンでの注文のように、便利なものもある。たくさんのファミリーレストランチェーンではタッチスクリーンを使い始めた。私はテーブルでタッチスクリーンを使うのは構わないが、あなたもきっと、数秒後にはどれだけ指が油っぽくなるかを目にしているだろう。
タッチスクリーンとの私の関係は、2000年代半ばにさかのぼる。そのとき、私はエア・カナダの飛行機でタッチスクリーンを手にした。それまで、最もしゃれた飛行機内の娯楽システムは、シンガポール航空の便の中にあり、それらはリモコンで操作するものだった。そのため、このエア・カナダのタッチスクリーンは大きな進歩のように見えた。規則的な「ボクボクボク」という音が聞こえ、頭の後ろでその感覚がするまでは。タッチスクリーンはまだそれほど反応がよいわけではなく、タッチスクリーンがただ触るだけのものであることに人々は慣れていなかったため、私の後ろの乗客は彼らのタッチスクリーンの上でオプションを強く突いていた。そのフライトで私がどれほど眠れなかったか、ご想像いただけると思う。
もちろん、タッチスクリーンしか知らない若い世代もいる。タッチスクリーンではないものを使おうとするときの彼らのリアクションを見るのはいつも興味をそそられる。タッチスクリーンのノートパソコンを持ったことがある私は、他のものも絶対に同じだろうとみなしていた。かつて、私は誰かが私と同じようなノートパソコンを持っていると思い、ズームインするために私のべたべたした指紋をその人のスクリーンの上につけた―結局それは普通のスクリーンで、私はそれをただ汚してしまっただけだった。
タッチスクリーンはこれからどのように発展していくのだろうか。スクリーンはまるっきり必須ではないものになるだろうか? 私たちは宙に浮かぶホログラフィックパネルを正面に持つだけになるだろうか? そうしたパネルはまだ、私が食事を注文するときに私をパニックにさせるだろうか? 未来は見てみないと分からないだろう。あるいは、触ってみないと分からないだろう。