先月で、私の人生の中で日本で過ごした期間が7年になった。
こう言うのは使い古された決まり文句ではあるが、いつの間にそんな歳月がたったのか分からない。
2017年にここに着いたときのことを今でもはっきりと覚えている。子どものような驚きとわくわくを実感しながら、ラーメンをがつがつ食べ、新幹線に乗り、公共のトイレに付いているたくさんの機能に驚いた―これらは全て、旅行客がよく褒めちぎることだ。
何を見つけるのか分からないままで、街をただ歩き回ったり、道や路地を歩いたりすることだけで、素晴らしい体験だった。日本に来て最初の数ヵ月で初めて食べた日本の料理の味が、今も残っているように感じられそうだ。
外国人はよく、この時期のことを彼らの日本での生活の「ハネムーン期」と呼ぶ。
そして、ハネムーンと同じように、この時期は最終的に終わりを迎え、日常生活に落ち着き始める。
私はここでの生活にとても慣れたので、私のカナダでの暮らしと日本での暮らしを、寄せ集めると大きく違うものにしている小さな詳細については時々忘れていることがある。
いくつか明白な例がある:車を運転するのではなく、どこへでも徒歩か自転車で行く;毎日米を食べている;西洋式のベッドで眠るのはホテルに泊まったときだけだ。
こうした違いが本当に私の意識に上ったのは、春にカナダに帰省旅行へ行ったときのことで、かなりの逆カルチャーショックを感じた。
突然、車が私たちの主要な移動手段になり、主食はパン―特にサンドイッチ―になった。
何もかもがどれほど高いかにも衝撃を受けたが、それは全く別の問題だった。
最初は全てのことを本当に楽しんでいて、カナダは私が人生のほとんどを過ごしてきた場所だというのに、カナダが妙に新鮮で新しい旅行先に感じられた。しかし、最終的に、あまりにたくさんのサンドイッチを食べた後、私は日本と日本で楽しんでいる全てのことが恋しくなり始めた。
旅行が終わる頃までには、私は本当にいつもの生活とルーティンに戻るのが楽しみになっていた。
ここで7年間過ごし、私のハネムーン期は今では随分前に終わっていて、初めて到着したときに畏敬の念に打たれた物事はもうそれほど特別には感じられなくなっている。
ある意味、それは少し悲しい―全てが楽しくてワクワクして、頭の中に日々の暮らしのストレスがない子どもの頃を振り返るのと少し似ている。
しかし、違う意味では、私が今もここにいて、ハネムーン期が終わったというのに生活を楽しんでいるという事実は、日本がもはや単なる長期の旅行先ではなくなったということを私に示している。
ここはホームなのだ。