前に住んでいた家で最も大切な思い出のいくつかは、家自体とは全く関係がなく、むしろ、私たちのすてきな隣人2人に関連している。その2人のことを、ナガノ夫妻と呼ぶことにしよう。
私のパートナーと私は、この近所に引っ越してきて緊張しながら自己紹介をしに行ったときに初めて、親切なナガノ夫妻と出会った。その翌日、私たちが仕事へ出かけるとき、ナガノ夫妻の家の2階の窓が突然勢いよく開いて、ミスター・ナガノの親しみやすい笑顔が飛び出てきて、私たちを温かく歓迎してくれた。
2人は私たちのことをみんなと同じように扱ってくれた。「どちらの出身ですか?」のような決まりきった質問は決してしなかった。そうではなく、2人は、庭にふんをしていくノラ猫に私たちが対処するのを助けてくれた。高級なガーデニングツールを貸してくれて、私たちが出かけているときは家を見守ってくれた。
ミセス・ナガノは、私たちからのごみとリサイクルについての質問に喜んで答えてくれた。ごみの収集係の人から紙のリサイクルごみが見えやすいように、紙ごみをナガノ夫妻宅の壁に立てかけることも勧めてくれた。アプリよりも効果的に、彼女は、もし私が雨が降っていることに気が付いていないようであれば、ドアの呼び鈴を鳴らして洗濯物を取り込んだほうがいいよと教えにきてくれた。
我が家の門はちゃんと閉まらなかったのだが、ある日、まさにグリム童話『こびとのくつや』の物語のように、門が魔法のように直った。ミスター・ナガノがたまたま必要な道具を持っていて、ある日、私たちのために門を直してくれたのだった。
別のときには、私のパートナーは、なりたてほやほやの日本国民として、地元の選挙の投票プロセスを理解する必要があった。政治は注意が必要な話題なので、私たちは質問をすることに不安を感じていた。だが、ナガノ夫妻に確認すると、制度を説明してくれただけではなく、親切にも何人かの候補者について彼らの意見を共有してくれた:「この人には投票しないほうがいい―彼はあの疑惑に関連していた。それから、あの人? まさか。私たちはこっちの別の人に投票したよ」。
2人はとても仲の良い夫婦でもあった。ある朝、私は洗濯物を干していると偶然、ミスター・ナガノが仕事へ出かけていくところを見かけた。ミセス・ナガノは彼の後から出てきて、門のところに立って、手を降って彼を見送っていた。ミスター・ナガノが退職したとき、2人は定期的にスーパーマーケットへ一緒へ出かけるようになった。ミスター・ナガノが彼の自転車を押し、ミセス・ナガノは支えるために自転車の後ろを持っていた。2人は私が#couplegoals(賞賛したり見習いたいと思えるカップルの行動や振る舞い)と呼ぶようなカップルだ。
あるとき私たちは、2人の家から歓声が聞こえ、彼らがパーティーをしているのだろうと思っていた。その後すぐに、2人が野球の試合を観るのが好きなのだと分かった。私たちは、彼らの喜びや落胆の叫びが近所を賑やかにするのを聞くのが好きだった。
家を引っ越した今、ナガノ夫妻のような近所の人たちにはもう会えないと思っている。私たちは、2人が7年間私たちの暮らしのそばにいてくれたことにずっと感謝している。もう私たちの向かいに彼らが住んでいないとしても、大切な人や思い出がある場所こそふるさとだと言われる―そして、ナガノ夫妻は私たちの心の中にい続けると私は思う。