待つことは人生の一部である。
大きな旅行を心待ちにして待つことであれ、人気のラーメン屋で辛抱強く列に並ぶことであれ、待つことはどうしても避けられない。
しかし、他の何よりも、私がずっと覚えているであろう待つことの思い出が2つある:娘たちが生まれる直前の数分間だ。
多くの面で、この2つの経験はよく似ている。
2人とも帝王切開で生まれなければならず、彼女たちが生まれた病院は手術室に家族を入れることを許可していなかった。
そのことは、私は他の父親になる人々と一緒に広い部屋で待たなければならないということを意味した。私たちはそれぞれ、足で床を鳴らしたり、携帯電話をスクロールしたりしながら、人生を変える同じ経験を緊張しながら待っていた。もちろん、私たち全員の任務は、パートナーが体験していたものに比べたら簡単なものだ。
大きい出入口から看護師が1人ずつ、泣いている赤ちゃん乗せたキャスター付きのベビーベッドを押して長いホールを通ってこちらに来て、待合室の入口で父親の名字を呼んだ。
私はたいてい、医師に診てもらうことを怖がっているが、この2回は、私は自分の名前が呼ばれることを待ち切れなかった出来事だった。
何かを待っているときにはたいていそうであるように、時計がとてもゆっくりと進んでいるように感じる。
何度となく、私は携帯電話を開いて、待ち切れない気持ちから気をそらそうとして、記事を読んだり、少しだけチェスのゲームをやってみたりしていたが、それはつかの間の解決策でしかなかった。他のどんなことにも、集中することは不可能だった。
ある時点で、長女の誕生を待っている間、ホールを通ってキャスター付きのベビーベッドが来るように聞こえる音が聞こえた。その時点では、別の赤ちゃんたちはすでに到着していたので、この小さな子は私の子に違いないと感じ、この世に彼女を迎える準備万端で私はいすからほぼ飛び上がった。
ただ、待合室の出入口に現れたのは、赤ちゃんをベビーベッドで押して連れて来る看護師ではなかった。夜の巡回で清掃用のカートを押してきた清掃員の人だった。
最終的に、私の待ち時間は終わった。そして、どの親も知っている通り、自分の子どもとの初対面ほど素晴らしいことは無い。
子どもを持つことは、自分の体の外で歩き回る自分の心臓を持つようなものだと言われる。私の場合、この言葉は、長女が生まれたときに瞬時に意味が分かった。その後、次女に会ったとき、この世界に存在する2つの心臓を持ったような感じがした。
妻と私はどちらも37歳なので、この経験をするのはそれがきっと最後だった。
一番人気の新しい店のラーメン一杯を遥かに凌いで、これらの2つ出来事は、絶対に待つ価値があった。